江坂が門倉の自宅を訪問するのは三度目だった。しかし前回も前々回も酔っぱらって熟睡したところを運ばれているので、きちんと正面から訪れるのは初めてだった。そのためベルを押したあと、門倉に完全な私服、水色の厚手のシャツに紺のスラックスという格好で迎え入れられたとき、とっさに対応ができずに口ごもった。
「来たのか」
簡潔に言って、門倉はドアを片手で押さえたまま江坂を中に招き入れた。殺風景な玄関には、つま先がきちんと外を向いた靴が並んでいる。
中に入ると、玄関マットにスリッパが投げ置かれた。
「まぁ、上がれ」
門倉は言うだけ言って、さっさと背を向けている。
子供の頃に友達の家へ遊びに行ったとき、こんな風ではなかったか。
「･･････おじゃまします」
忘れ物を受け取ったら即座に帰るつもりだったのだが、江坂は雰囲気にながされるように玄関を上がっていた。
室内に入り、すすめられたソファーに座ると、居間と仕切りなしのキッチンから門倉が飲み物を聞いてきた。
適当に答えながら、江坂は客としてもてなされることに戸惑った。
一人暮らしの友人たちとはお互い遠慮なく部屋に上がり込んでいたし、実家住まいや既婚者だと外で会うことが多かった。家を訪問したときの儀式化された対応は、本当に久しぶりだった。
門倉が家庭を持っていたことを、今さらながらに意識する。
目の前にビールが差し出された。男が用意できる飲物といえばこのぐらいだが、コップがそえられているところが、江坂とは違った。
「すみません」
受け取って、缶を開ける。宴会でのビールの注ぎ方講釈を思い出しながら、コップにそそいだ。
深夜に門倉の家を飛び出した江坂は、ファミリーレストランで時間をつぶしてから筑波行きのバスに乗った。バスの中で職場の身分証明書をなくしたことに気がついたが、高速バスは東京と筑波をノンストップで結んでいるので、仕方なく官舎に着いてから門倉に電話を入れた。なくしたのが研究所に入るためのキーでなければ、多少の不利益は無視していただろう。
江坂はビールを一気に飲んで、門倉に向きあった。
門倉はわずかに口端を上げ、同期の失敗を待ち受けるような顔で、グラスごしに江坂をながめている。
「すみませんが、私の身分証明書を返していただきたいんですが、」
「寝室だ」
「は？」
「ベッドの上にある」
「返して下さい」
「勝手に取ればいいだろう」
「じゃあ、失礼します」
意味深長な問答に我慢できず、勢いよく立ち上がった江坂に対して、門倉は案の定とばかりに喉の奥で笑った。
昨晩寝室に足を踏み入れてはいない。なぜそこにあるのか、門倉が何のためにそこに置いたのか、一般的な回答から荒唐無稽な答えまで、いくつも脳裏に浮んだ。
少し躊躇してから寝室に入る。部屋の片隅を占めるダブルベッドを見て、上司の娘と見合い結婚だったと聞いたが、夫婦仲は悪くなかったのではと推測する。敵対する組織からの警告で、妻と息子が交通事故に遭い、その結果離婚したと、最近知った。家の中には家族の写真すら見当たらないが、アニメのビデオや手作りのクッションなど、二人の痕跡は消えてはいない。
ダブルベッドの中央に、IC付きのカードが無造作に投げ出されてあった。
江坂がベッドに片手をついて免許証ほどのカードを手に取ると、身体を起こす前に引き倒された。
「何をっ」
危惧していたことが予想通りにおこなわれて、それでもなお江坂はうろたえて声を上げた。
門倉に右の二の腕を押さえ込まれ、ベッドにぬいつけられる。ひざで両足を割られて、渾身の力で抗ったところで、男の急所を握られた。
甘さのない所作に江坂が身の危険を感じて動きを止めると、門倉は江坂の腕を開放してあごを固定した。
「やっ、め、･･････」
江坂の怒号は門倉の口によって封じられた。場所を変えては唇に触れ、歯を立てて上唇をついばむ。そんなお遊びのようなキスが何度もくり返された。
その最中にも江坂が抵抗を始めるたびに、門倉は急所をつかんだ指に力を込めて牽制し、力を抜けば微妙な刺激を与え続けた。
のしかかられている体勢では、拘束されていない両手も役には立たない。熱をおびてくる身体に、自分のモノの変化を感じとって、江坂は強引に顔を背けた。
「ふざけないで、下さい」
精一杯の虚勢をはって叫ぶと、門倉は目を合わせてきた。
無言で、穏やかならざる笑みを浮かべる。
情欲の色は見えない。無邪気な好奇心とも、酒の席でセクハラを仕掛けるような出来心とも無縁の、行為の影響と結果を熟知している顔だ。
規則的な刺激を加えながら、門倉が二度目のキスをした。
歯を食いしばる江坂に付き合うように、まぶたに、ほおに、喉元に、唇で愛撫をほどこし、息をついだところで唇を軽くついばんだ。
服の上をさまよっていた指がふいに離れて、ズボンの前ホックをはずし、ジッパーを下ろした。
抗議の声を上げようとして江坂が口を開くと、門倉は舌を差し入れて歯列をなぞった。舌先が触れ合ったとたん、ぴりりとした衝撃が走る。しかしそれ以上は仕掛けてこずに、再び江坂の唇でたわむれた。
ブリーフの中に滑り込んできた手は、ためらいもなく江坂のモノをとらえた。自分の指とは違う異質な感覚に江坂が身をすくませると、優しいほどの動きで強張りをときほぐす。神経が快感をひろうために集中していくようだった。
「やめ、ろっ。あんた自分が、何、してるか、判ってるのかっ」
「当然だ」
涼しい顔で言ってのけて、門倉は立ち上がってきた性器に指をからめた。ゆるゆるとした動きは江坂の反応を絶えずうかがっていて、江坂が息をのもうものなら、どうしようもなく吐息がもれるまで責められた。
「んっ･･････」
何度目かのキスがおとされた。
口付けるだけで、時折口蓋の敏感な部分に触れながら、舌をからめてはこない。
あと一歩刺激が足りない。下半身への遠慮のない動きとは裏腹に、口への愛撫はどこか淡白で、唇が離れたときに追いかけそうになる。
「･･････く、･･････はぁっ、あ、･･････」
張りつめた性器にはたえまなく指が這い回った。乱れた呼吸にかすかな嬌声が交じり、江坂はたまらなくなって手で口をふさいだ。もはや思考をつむぐことはできずに、快感だけを追ってしまう。
門倉に手首をつかまれ、口から外された。その手をベッドにきつく押しつけられる。
睨みつけるつもりで門倉を見上げたが、ピントが合う前に唇を合わされた。
舌で歯列をなぶられる。思い出したように唇をあまがみされる。脈打つ音で頭が占領される。
「･･････ふ、･･････」
欲情をはじめた身体に門倉のキスはじれったいほどで、息をつぐために交わる角度を変えたとき、江坂は思わず自分から門倉の舌をとらえていた。
それを待っていたかのように、門倉は遠慮なく口内を犯しはじめた。
散々遊ばれて、射精させられた。茫然としているあいだに、中途半端に足を拘束していたズボンを下着ごと引き抜かれる。靴下を足の指で器用に脱がされたときには、こんなときだというのに、笑いがもれた。
血の引くような羞恥心と、呼び起こされた性欲がせめぎ合っている。
「何でこんなことを？」
体を起こしてシャツを脱ぐ門倉に、江坂は声をかけた。
「からかうだけのつもりだったが、やりたくなった」
「警察官僚が男相手にレイプしましたっていうのは、しゃれにならないんじゃないですか」
「そうだな」
服を脱いだ門倉が、いつもの感情を抑えた顔で振り向いた。
「経験は？」
「･･････」
大学の登山部のとき、半ば強制的、衝動的に身体をつなげた相手がいた。冬の穂高でのことだ。しかし江坂は黙秘した。下手に弱みを与えては、寝首をかかれるだけだ。
「あんたこそ、どうなんです？」
「ないな」
「変な人だな。たまってたら男も女も関係ないんですか」
「君こそ、男の手に感じていたようだが、」
「なっ」
耳元に突かれた門倉の手を力一杯ふり払い、江坂は跳ね起きた。
「あれは、あんたがっ･･････」
大声で糾弾しながら、キスに自分から応えた自覚があるだけに、後が続かない。
江坂は無言で門倉の体を押しのけ、ベッドから下りようとした。
すぐに腕を取られて、肩からベッドに引き戻される。両手首を片手で拘束されて、男の胸には興味がないとばかりに放置されていたシャツをはだけさせられた。
「訴えるぞ」
腕力ではなくて技術の差で抵抗を封じられた江坂は、唯一自由になる口と目で相手を非難した。
門倉は苦笑を浮かべただけで、江坂を見下ろしている。ふくらみのない胸に、どうしていいのか判らない様子で手をすべらせ、江坂が反応を返すと、面白がって何度も愛撫を加えた。
行為中の門倉は口数が少なく、妻だけを相手にしてきたとは思えないほどサービス精神にあふれていた。江坂のモノも再び立ち上がり、最近遠ざかっていた身体の快楽に流されそうになる。
だがさすがに、門倉の指が後ろにまわり、確かめるように江坂のなかに侵入して時には、全ての感覚が停止して硬直した。ここまできて何もしないと思っていたわけではないが、本当にやるとも思っていなかったのだ。
「何をするっ」
「ここを使うのだろう」
「離せっ」
「このままいけるのか？」
かみ合わない会話はいつかと同じだ。江坂は身体をよじって逃れようとしたが、体勢と押さえ込まれた部位が的確で、力が入らない。
やられるときの痛みも嗜虐的な快楽も覚えている。結婚しているわけでも恋人がいるわけでもないので、熱をはらんだ身体にまかせて一晩ぐらい男とやってしまっても構わないような気がしてくる。
相手が門倉でなければ。
「痛っ･･････、やめろっ、」
江坂が叫ぶと門倉は動きを止めた。しかし指を抜く気はないらしく、江坂がつめていた息を吐くと、行動を再開した。おそらく知識で知っているのだろう。探るような指先は確実に江坂を追いつめていく。
「は･･････、くっ、･･････」
つぼにはまった刺激に、背がたわむ。声を出すまいと唇をかんだが、その代わりに無意識に首を左右に振っていた。
ふいに門倉が体を離した。サイドテーブルの引き出しを開けて、コンドームを取り出している。
おさまらない呼吸とさらなる刺激を求めてうずく身体に、江坂はため息をついた。
「最後までやるつもりなら、何かないと、つらい」
「何か？」
「･･････クリームとか」
「そうか」
頷いて、門倉は口端に笑みを浮かべた。同意を得たと思ったのかもしれない。
あきらめが悪いと自認していたが、本能には逆らえない。
それでも相手が門倉だと思うと、素直に足を開く気にもなれず、江坂は無駄なあがきをくり返した。
門倉の門を叩いたのが休日ではまだ早朝ともいえる時間だった。それから行為の後に眠るように意識をなくして起きてみれば、まだ午後も早い時刻で、真っ昼間からやってしまったことに江坂は気恥ずかしさを覚えた。
完全な正気に戻ってみれば、門倉と寝たなど一生の不覚だった。
このうえはさっさと退散するに限ると、江坂は身体を起こそうとした。
「いっ、･･････うーっ」
腰をはい上がる痛みに、江坂はベッドに倒れ込んだ。じっと我慢することができなくて、うなりながらひたすら寝返りをうつ。そうやって身体を動かすごとに、門倉が押し入った部分がぴりぴりとした痛みを伝えてきて、江坂は泣きたい気分でシーツに顔を押しつけた。
「起きたのか」
元凶が寝室に入ってきた。自分一人すっかり身支度を整えている。
「服はここだが、シャワーを浴びていくか」
大分港で罠にかけて危険なおとり役をやらせたあと、涼しい顔でリクルートしてきた男だ。何事もなかったように親切にするのはお手の物らしい。
「店ものでいいなら昼食もあるが、」
門倉は拾い集めた服を江坂の足元に投げてから、ベッドの端に腰掛けた。
「大丈夫なのか」
うつ伏せたままで何も言わない江坂を心配したのか、わずかに見えているこめかみと耳に手をそえてきた。
「さわるな」
江坂は顔だけをわずかにずらし、睨みつけた。
それを見て門倉は、シーツをはぐり、乱暴に肩をつかんで江坂の身体をひっくり返した。
「痛っ、いーっ･･････」
江坂が突然襲った衝撃に耐えていると、額に手が当てられた。それから耳たぶと喉元に。
「熱はないようだな」
「何をするっ」
「熱をみただけだ。後ろの傷はたいしたことない。あとで薬を出そう」
「あんた、見たのか？」
一瞬にして頭に血が上った。
門倉は否定もせずに立ち上がると、棚を探りはじめた。
「言うことはないのか？」
全裸でシーツにくるまりながらでは迫力もないが、問い詰めてみる。
「何をだ？」
「あんたがやったことについて」
怒りとも羞恥心ともつかない感情がわきおこる。今、手の届く範囲に門倉がいたら、暴力にうったえていただろう。
門倉の行為は経験がないという言葉を裏付けるように技巧も何もなかった。ただやりなれていると思わせる愛撫と、学習能力の高さで、江坂をいかせることだけは上手かった。苦痛が勝った挿入時も、けっして乱暴ではなく、余裕があったのか、年季が入ってるのか、いやみなほど常に江坂の状態に気を配っていた。延々とじらされたせいで、門倉の背中には無数の爪痕がついているはずだ。
つまりはいいように遊ばれたのだ。
薬箱を手にした門倉が振り返った。
ベッドの上であざらしのように横たわり、目つきだけは険悪な江坂を、思案顔で一瞥する。
「思ったより楽しませてもらったが、悪かったかな」
淡々とした声で言う。
「ふざけるな、」
上半身を起こして、痛みをこらえながらの悪態をつくと、門倉は興味深げに目を細めている。
腰が抜けるほどやりまくった後では何を言っても無駄だろう。江坂は脱力してベッドに沈み込んだ。
しばらくしてから門倉の気配が近づいてきて、頭に手がふれた。認めたくはないのだが、久々の人肌に満足したのも事実だった。
終